18歳人口は減少の一途をたどっている。どこの大学も生き残りをかけて必死の対策を講じていることだろう。国公立も安泰というわけではない。特に私学は目に見えてわかりやすい結果を求められたり、短期での成果のようなものを示すことで学生を集めようとせざるを得ない状況であることは理解する。
しかし、今回の改名はあまりにも早計に過ぎた。もちろん開学以来の悲願であることは知っている。だが、京都市立芸術大学に対しても、京都造形芸術大学の教職員・学生に対しても「決定事項の通達」をしただけである。
それは「検討」でも「話し合い」でも「交渉」でも、ない。「決定事項の説明」だけである。
大学は理事長や学長だけのものではない。学生や卒業生あっての大学だ。今や京都造形芸術大学は大きな大学となった。それゆえに多くの在学生や卒業生が存在することを忘れてはいないだろうか。
もちろん、この件について賛成やどちらでもいい方もいるだろう。だが、多くの人が納得していないこの状況を大学はどう見ているのか?これだけ多くの人の心を踏みにじってする改名とは何なのだろうか?京都造形芸術大学に通っている、もしくは卒業した、というアイデンティティを消失させてまですることなのか?
私の子は京都造形芸術大学を第二志望とし、京都市立芸術大学に入学した。高一の最初のオープンキャンパスに同行し、当時の先生や学生さんにとても好意的な対応をしてもらったことは忘れない。つまりご縁があったかもしれない大学である。
現在、複雑な立場に置かれている方に思いを馳せる。京都市立芸大を卒業して京都造形芸術大で教えている方、京都造形芸術大を卒業して京都市立芸大で教えている方、それぞれの学部を卒業して相手の大学院に進まれた方、それぞれの大学を卒業して職場が同じ方、グループ展を一緒にやる方、友達同士の大学生、卒業生など。本来、同じ京都にある大学として共存共栄を目指すべきである。
また、現在の京都市立芸大の学長は理事長を兼任していてご自身が卒業生でもあり、クリエーター、アーティストでもある。色々なものごとを守るために提訴に踏み切らねばならなかった心情は察するに余り有る。
そしてまた、私は大学改名を踏みとどまった大学の卒業生としても声を大にして言いたい。京都精華大学の開学23年目に起こった改名問題に対して「大学としても学生の意向を無視して変更を強行することはしないと約束」をした大学を心から誇りに思いたいと思う。
9回の検討委員会ののち改名はされなかった。もう開学50周年を迎える今では、あの大学は「京都精華大学」以外の何者でもないように思われる。
どうか、勇気を持って改名を踏みとどまる英断を期待したい。
人は皆間違える。それが大学の繁栄を願ってやったことであっても、多くの人の魂を奪う結果になってはならないと思う。
その他/京都市立芸術大学 保護者、京都精華大学 卒業生
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