「名称変更をされる」事自体は反対しませんが、「京都芸術大学という名称にされる」のは反対です。
名称の酷似から起こる略称の混同を狙っているのは、確実であるとわたしは認識しています。尾池学長がTVのインタビューで「あだ名は自分から議論するものじゃない」というような返答をしていましたが、それであれば、なおさらわざわざ、略称を瓜芸とし、京都芸大、京芸は使用しないと明記することの理屈が立たないと思いますし、混同されうる自覚は大いにあるはずです(京芸や市から反対されてたにしろ)。
あだ名が勝手に決まっていくものであれば、もし、改称によって、巷の人たちが京造のことを京都芸大と呼び出したら、それを容認するのですか?スタンスがわかりませんし、結局のところそうなることを狙ってるとしか思えません。
以下は混同された場合の、京芸側が被る主な悪影響です。(混同されて京芸が得るメリットなど何もないです。)
⚪︎大学のイメージの混同
昨今の京芸と京造の卒業者の活躍の比較については(主力分野が異なるという認識なので)さておき、京造ができる前からの京芸の歴史的な関係者の実績、足跡までも、あまり芸術系の大学について詳しくない層の方々から混同されるということです。悪い言い方をすれば未必の故意で、歴史をかすめとれてしまうわけです。
京芸からしても大きな損失ですが、話を大きくしますが、京都、日本の文化的な問題にもなりえます。
⚪︎卒業生の経歴での混乱
良くも悪くも、日本は学歴や経歴が、就職を始めとするさまざまなキャリア形成において影響します。学歴の価値は、入学の難度で判断されることが多いでしょう。(東大卒って言われたらなんの研究かも聞かずに、なんかすごいってなるようなものです。だから東大王とか流行るんですよね。)そうしたときに、「京都芸術大学」という学歴を持った大量の人たちが就活をしたとき、確実に少ない側が紛れてしまいます。なかなか迷惑な話です。ポジティブに捉えようと頑張れば、ある意味フラットな選考が展開してもらえるかもしれないという希望があるくらいでしょうか。
ところで、こんな騒ぎになっている大学の就活生は、いまどんな気持ちで、どんな影響を受けているのでしょうか。 ※入試の難易度に関しては、京都の画塾等が京芸コースなどを作って、京造コースを作っていないことからもある程度言えるのではないでしょうか。
結局のところ、なぜ、ここまであらゆる方から、名称が似ていると言われながら「京都芸術大学」以外の選択肢を検討できないのかがわかりません。
京造本位の思い込み?による、混同はされないという主張しか見当たらず、納得いかないことだらけです。
ちなみに、「卒業生の数が多いから社会への貢献度が大きい」という弁があったとして、だから名前を似せてもいいという理由にはならず、むしろ余計に、数の力で吸収しようとしているように見られないように考えるべきに思います。
個人的には、どうしても京造の経営に関する姿勢を思うと、疑わしく感じます。
その他/京都市立芸術大学美術学部卒
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