私は数十年前に京都芸大を卒業し、大阪で教員の仕事をしていました。芸短大の頃から、多くの教え子がお世話になり、京造大にも、もちろん京芸大にも教え子たちが通い、それぞれの分野で活躍してきています。申し訳ないけれど、どうしても行くところがなければ芸短大へ・・という時代もありました。しかしその中で4年制となり大きな大学へと成長されたことは造形芸術大学の学生はじめ、皆さんの努力の結果だと思います。今回の件でも、私立大学が改革を図るということは全く問題なく、当然積極的におこなわれれば良いと思います。しかし、それが大学の名称変更となればやり方次第では、それまでに作り上げてきた伝統や実績などの全てを破棄することになりかねない、大学自体の信頼を失うような結果になりかねない、難しい内容であると思います。 事実、今回の騒動で、造形芸術大学の経営陣のやり方、考え方は到底理解を得られるものではなかったために、相当な反発を食らうことになりましたが、その実害は在学生やOBに降りかかっています。「偽芸大って言われることになる」「造形芸術大学という名前にプライドはないのか?」「せっかく認知されつつある名前をなぜ捨てるんだ?」「今後の仕事で、造形芸大卒と言いにくくなった」「校名変更が必須事項であり、瓜芸を略称とするのなら、瓜生山芸術大学ではダメなのか?」・・・・受験生からも困惑の声を聞きます。「京造大に出願し合格したものの、実際に通う時には名前が違っているの?」「来春、学生となる予定だけど、憧れていた造形芸大には通えず、まるで後ろ指を指されるような学生生活になってしまうの?」 様々な声があがる中で、経営陣からの発信は、京芸大に対してあまりに挑発的、失礼な発言が多く、自らについてはまるで都合の悪いことを隠すかのような内容が散見されます。例えば・・『8月30日に京芸大から抗議を受けたので、即日「話し合いをしたい」と返信したが、無視された。話し合いをする気もなく、いきなり提訴をするなんてひどいじゃないか!!』という内容をHP上にあげています。実際には7月中から何度も話し合いを進めてきたにもかかわらず、全くラチがあかない為にやむを得ず京芸大側が提訴に踏み切ったというのが事実です。いかにも京芸大はヒドイ!と印象操作を狙った内容です。 これまでの学長や理事長の発言内容や、一般の多くの声が否定的であることからも、学生やOBにとっては関係者一丸となっての大学改革にはなっていないことは明白です。 「反対」が大勢を占める様相ですが、中には大学の改革を図るという大義名分に惑わされてしまっている方も稀におられるようです。最初にあげた通り、大学の改革はすればいい。保守的である必要なんて全くない。名称変更もあり得るでしょう(本当に必要ならば)しかし、わざわざ他大学との軋轢を生むような、既存の大学名に近い名前に敢えて変える必要がありますか?今まで築き上げたものを捨て、在学生やOBが疑問を抱くような名前に敢えて変える必要がありますか?特に創造的活動を中心とした、まさに「芸術大学」をめざすなら、既存の大学名に寄せるのではなく、もっと個性的・創造的な名称を考えればいいのではないですか?また、大学改革は学生をはじめとした関係者の総意として実施されるべきではないですか?まさに「改革」の本筋とは違うことを経営陣がおこなっているんです。 改革をしようというのは大学経営陣としては当然のこと。しかし、学生やその保護者、OBなど、最もその考えを聞き、まとめ、その上で改革すべきところを、経営陣の一存だけで進めようとするからおかしくなってしまった。既存のブランドをかすめ取ろうという狙いが丸見えで、その露骨な商魂が改革の全てをぶち壊してしまっているのだと思います。 京芸大が提訴したのがとんでもないことと言い放ち、まるで被害者のように振る舞う姿はもう滑稽でしかないです。 名称変更するつもりで様々な準備をされてきたのでしょうが、今こそ勇気を持って名称変更については再考するとして、新しい大学改革に取り組まれるのが一番だと思いますが・・。
その他/京芸大卒元、高校美術教員
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