まず、私は名称を変更する事自体については反対では有りません。ですが名称を変更するのであればするで、然るべき合意形成が必要であり、また現時点ではそれが不十分なのではないかと感じます。 大学名称変更及びグランドデザイン2030についての初めて知ったのはねぶた作業中の8/27でした。その時は「やっと芸大生としての自覚や"京造"への帰属意識が芽生えてきたにも関わらず"来年から名前が変わります"とは、芸大生としてのアイデンティティの根底部分をひっくり返された気分だ。」「造形芸術の枠を超えたいのであれば、トノサマバッタを飛ばしたり(神戸電子専門学校のTVCMキャッチコピーより)プロモーションとしての工夫をする事でもアピール出来るのではないか」と思いました。根底として「何故わざわざ名前を変える必要があるのか。」という疑問と「京都造形芸術大学」や「京造という略称」に対しての愛着、帰属意識が有りました。(其れは現在も変わらず有ります。) 大学側上層部のコメントを見る限り、「こんな前例もある。法的には問題が無い。」という主張をされています。名前というものは概念や存在を識別する為のものだけでなく、その対象と深く結びついているものです。卒業生や在校生、地域住民やその他大学に関係がある人たちが、新名称やその略称にどのような想いを抱くか、もまた大事にすべきです。そしてそれは"法的な観点のみで考える事ではない"です。京都市立芸術大学と混同する、訴訟をされている。それ以前の問題ですらあるようにも感じます。大学設置申請時から"京都芸術大学"とする構想もあった事、現在及び将来の教育・研究活動に相応しい名前にしたいという大学側の意図は把握しています。しかし、事務的な手作きや電子的なデータは切り替えられるにせよ、名前に対する個々の印象はそういう訳にはいきません。 "名前に歴史が詰まっている"とはそういう事で、反対意見の大半の根拠はそういった事であると思います。在学生や卒業生は自分達の想いが詰まった"京造"という名前に愛着があり、そして新略称である"瓜芸"に対しては何の思い入れもありません。京都市立芸術大学側の方々は"京芸" "京都芸大"に対する思い入れがあります。 "京都芸術大学" が "京都市立芸術大学"の区別が問題なく可能であるというのは屁理屈でだと思います。事実として"京都市立芸術大学"の略称が"京芸" "京都芸大"であり、現在は商標登録もされています。この略称が"京都市立芸術大学"のアイデンティティである事は認めざるを得ません。 (私が"京造"から名前が変わると聞いた際に感じた事と同じです。"京造"という略称は"京都造形芸術大学"のアイデンティティです) また、実際に提示なさっている略称である"瓜芸"は"京都芸術大学"の略称とは言えません。法人名が"瓜生山学園"である背景や、名称変更の経緯を知らない方が見れば明らかに「違う大学」として認識されます。 "瓜芸"にしたいのであれば"瓜生山芸術大学"にでもするべきです。 しかし"京都"というキーワードも入れたい意図もまた分かります。だとするとどうするべきなのか、明確な答えはまだ提示出来ません。が、まだ明らかに議論と意見の量が不十分であると思います。
在学生/情報デザイン学科 クロステックデザインコース 1回生
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