京都造形芸術大学の経営者や学長が芸術大学を自認するのであれば、大学の藝術立国精神に従い、京都芸術大学・京都芸大として我々が親しんで知る開学140年の京都市立芸術大学とは全く異なる名前を考案し名乗る姿勢を表明すべきです。これは市民財産でもある為です。浮き彫りになってきている今後の経営的事情や、開学当初から色々なものがある様子も解っていますが、それに学生を巻き込んだのは、学長としても経営者としても失策。藤川学園から短大に再編された当初から京都芸大との名称混乱を起こす発言や様子を見てきた美術に親しむ側としては、この状況下で「名称混乱による狙いは無い、被害も出ない」と言い張る感性が全く理解できず、大変な不誠実さを感じます。第一に瓜生山学園の「視点」が、作家関連は勿論、美術品収集家やその資産価値への影響に届いていない、全く私的で自己中心的な視点である事にも、落胆を通り越し怒りを覚えます。経営側は学生や卒業生、教員に相当高圧的と聞きます。それに起因する「学生の環境を考えず利益追求が全てである」という芸術らか程遠い経営姿勢は、今回の件で世間に知れ渡った事を、瓜生山学園は強く踏まえるべきです。今後社会的に誠意ある瓜生山学園の自戒と対応を見たいです。
その他/デザイナー企業顧問
Comments