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030_反対

瓜生山学園京都造形芸術大学が「京都芸術大学」に名称変更することについて、いろいろな立場でのメリットとデメリットを考えてみました。かなり長いですが、お付き合いください。 ■混同されること前提での名称変更 まず8/27に発表された「グランドデザイン2030」の名称変更についての文に添えられた注釈を見てみましょう。 ---------- 5.2020年4月1日より「京都芸術大学」へ大学名称変更「造形芸術」の枠を超え、「藝術立国」の実現に向けて学校法人瓜生山学園「京都造形芸術大学」は、2020年4月1日より、学校法人瓜生山学園「京都芸術大学」に名称を変更いたします。 ※その略称としては、「瓜芸(うりげい)」「KUA(ケーユーエー)」を使用し、「京芸」「京都芸大」は使用いたしません。 ※なお、申し上げるまでもなく、本学は、公立大学法人「京都市立芸術大学」とは異なる大学です。 ---------- 京都市立芸術大学とは違う略称を用いることで混乱を招かないようにしますよ、と云う意味のことが書いてありますが、そもそも混同しない名称であれば、わざわざこんな注釈を入れる必要もないわけで、「京都芸術大学」という名称が「京都市立芸術大学」の名称もしくは略称に酷似しており混同されるであろうことを想定している、と言っているのと同じこと。語るに落ちるとはまさにこういうことでしょう。 ということは、瓜生山学園の経営陣は既存の大学名と混同されたとしても「京都芸術大学」を名乗ることにそれ以上のメリットが有ると考えていることになりますね。あるいは混同されること自体をメリットと考えているという可能性もあります。 ■どんなメリットがある? まず既存の大学「京都市立芸術大学」と混同された場合、瓜生山学園にはどんなメリットがあるでしょうか?京都市立芸術大学は日本で最も古い芸術大学であり、京都で芸大といえば京都市立芸術大学という認識が京都市民の中では一般的です。なので、「京都芸術大学」を名乗って京都市立芸術大学と混同された場合に(相手の勘違いではありますが)ステータスがアップするかもしれません。 また、名称が「京都芸術大学」だと(特に関西圏外の)受験生が抱く印象として、京都を代表する芸術大学であるかのように思われ、志望者が増えるかもしれません。おそらくこれが瓜生山経営陣にとって一番のメリットだと考えられているような気がします。 しかし、「京都芸術大学」が京都を代表する芸術大学であるという評価イメージは、京都市立芸術大学が140年かかって築き上げた伝統と実績というものが土台となって醸成されたイメージであり、瓜生山学園の経営陣が名称変更によってこのイメージにタダ乗りしようとすることは、クリエイティブの世界における「パクリ」と同じ行為です。そもそも京都に京都市立芸大が無かったらこういったイメージはなく、瓜生山が京都芸術大学をこの時点で名乗ったとしても「ああ、新しい芸大できたんやね」という印象にしかならないはずですから。 また単純に名前だけを比べた場合「京都芸術大学」と「京都市立芸術大学」が並んでいたらどっちの格が上に見えるか、というのも瓜生山経営陣がこの名称に拘る大きな理由の一つだと思われます。 ■デメリットは誰に降りかかる? そして、混同されることはメリットだけではありません。おそらく名称変更が実行された場合、様々なシチュエーションで「どっちの京都芸大?」という問いかけがなされることになるでしょう。タクシー移動での場所確認の話もよく聞きますが、公募展への応募の際、他校との交流の際、就職活動の際などにも先方から確認されることになります。学生たちはなんと答えるのでしょうか?「瓜芸の方です」でしょうか、「私学の方です」でしょうか、または「元造形の方です」でしょうか?いずれにせよ相手の印象は「京都造形芸術大学」だった頃より落ちるでしょう。口裂がない輩からは「ああ、名前パクったほうね」ぐらいに言われることだってあり得ると思います。 経営側は志望者数が増えることで潤うかもしれませんが、学生・OB・教職員にとってはデメリットのほうが大きい、というかデメリットしかないと言ってもいいでしょう。教職員は学園から報酬を得ている立場であり、自身の生活を支えていくために我慢を強いられることもあると思いますが、在学生やOBはもっと腹を立てていいと思います。学園側の利益拡大のために他校が作ったイメージにタダ乗りするから、学生君たちは自身のステータスランクを落とすことになっても我慢してねと言われているのと同じなのです。 ■市立芸大が被る被害...じつはあまり無い ちなみに私は京都市立芸術大学の卒業生ですが、正直なところ京都市立芸術大学のほうは今騒いでいるほどには実質は困らないだろうな、と予想しています。 早い時期から真剣に芸術の道を志そうとしている受験生が、自分の志望先を間違え公立に行くつもりが私学を志願してしまう、なんてことはほぼないと思うし、万が一間違えたとしても国公立のほうが入試時期がずっと遅いので受験できなくなることはありません。 ただ、これは実際にあった話ですが、タクシーで入試に向かった受験生が、北白川に運ばれてしまい受験できなかった、といった事件が多発する恐れはあるかもしれないので、大学側はこの対策に労力を割く必要があるでしょう。そもそも受験する層が違うという印象があり、オープンキャンパスで訪れた高校生との話から受ける印象としては、最初から私学を目指す層には「京都造形芸術大学」の名前のほうが「京都市立芸術大学」より浸透しているように思います。 混同された場合の「どっちの京芸?」問題にしても、市立芸大の学生やOBは(めんどくさいな)と思いつつも「市立の方です」「昔からある方です」と答えればいいし、それによってステータスが左右されることもありません。結局「ややこしい名前の私学のせいでめんどくさいな」というくらいのことで、たいした実害はないのではと考えています。 ■結論=結局損をするのは京造の学生・卒業生・入学志望者 結局一番不利益を被るのは誰か、といえば京都造形芸術大学の現役学生諸君と卒業生の方々、これから京都造形芸術大学あるいは改名後の京都芸術大学を受験する受験生諸君ということになるでしょう。先にも書きましたが、京都造形芸術大学の在学生諸君・卒業生の方々はもっと瓜生山経営陣に対して怒るべきだと思います。「他者の築き上げたものを模倣して利を得ようとする姿勢」が創造者として歩もうとするものの最も恥ずべき行為であることを訴え、これを正すように求めるべきでしょう。


その他/WEBディレクター・デザイナー、京都市立芸術大学美術学部油画科卒、大阪芸術大学デザイン学科准教授/笠居トシヒロ

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