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027_反対


母校・京都造形芸術大学の名称変更の件で、なぜ自分がこれほど不快感を感じるのか考えてきました。 SNSなどで共有する機会もありましたが、こういった場がある事を知り、少しでも今回の問題が「名称を変更しない方向」に動けばと思い投稿します。 私は名称変更に「反対」です。 また、こちらも明記しておきたいのですが、私は母校に対してとても愛着があり、卒業後も非常にお世話になり、そして良い学校だと感じてきました。そういった立場から、自分の考えを書きます。 特定の誰かを非難するつもりはありません。「大学」という非常に沢山の人間が関わる集団がとった、今回の名称変更という動きに対して、自分という一個人がなぜそれを不快に感じ、反対なのかという意見を書きます。(自分が個人としてどう感じ、考えたか、という事を書くために、あえて「不快感」という言葉を使います。)

* 今回の問題に対して自分が感じている不快感を説明するには、国公立の大学に対して、自分がどのような価値を感じているのか、という点をまず明らかにする必要があります。 私の思う国公立の大学の価値は、「経済的なハンディキャップから抜け出る為の1つの方法である」という部分です。 国公立の大学にはだれでも入学できる訳ではありませんが、努力した人、もしくはある分野で秀でた人が、奨学金という借金を極力回避しつつ安価な学費で良い教育を受けられる「良い」システムだと思います。「良い」というのは、学生やその家族に対してももちろん「良い」し、拡大して考えると、その大学がある地域にとっても、日本という国の将来にとっても「良い」のではないかと自分は思います。今の世の中において、「努力が報われる可能性がある」という事が、中学生や高校生に対して、1つの形として明示されているという事だけでも、非常に重要な存在意義があると思います。今の高校生の状況はわかりませんが、私が高校生の頃は(20年ほど前。普通の公立高校出身です)、家にお金が無いけど、本人は優秀で、なおかつ大学でしっかり勉強したいという人が国公立の大学を受験する、というのは、自分の家庭が背負っている経済的なハンデから抜け出る為の1つの方法でもあったと思います。 今回の件で、私が不快感を覚える原因は、そういった厳しい立場にある人にとってこそ本当に大切なシステムを、京都造形芸術大学が、名称変更によって、犯しているように感じるからです。 私は京都造形芸術大学出身で、京都市立芸術大学は志望校にできるレベルではありませんでした。また今現在、京都市立芸術大学と直接関わりがあるかと言われれば特にはありません。それでもどこか、今回の母校の行動は、間接的に自分たちへの攻撃や独占行為のように感じます。自分たちが納めた税金や、自分の子供や家族が暮らす場所や地域・ほんの少し先の未来を犯しているように感じます。そして、そういったみんながプールした有形無形の財産を独り占めしようとするかのような姿に、心底気味の悪さを感じるのです。もし今回の件が、私立大学同士の事であれば、ここまで不快感は感じ無かったのかもしれません。(それも容認されることではないと思うが、です。) 上記のように考えると、法律的に問題無いとか、認可が下りている、自分たちも元々は使っていた名称です、というような話は筋違いの話で、自分が感じている気味の悪さを、全くクリアにはしてくれませんでした。 現在私は3歳の子供を育てていますが、時々自分の子供に対して「滑り台の順番抜かしたらあかんで」とか「ぶつかったんならゴメンって言っておいで」という内容のことを伝えます。これは別に、法律で規制されているから、ではありません。ある集まりの中で、他の人も自分たちも気持ち良く過ごす為の不文律のようなものだと思います。そして、今回の件での母校の発表や態度は、このくらい根本的なレベルで間違っているように感じるのです。(もちろん、こういった「程度の低い」話と大学の経営に関わる決断が異次元の話であるという事は百も承知ですが、それでもです。) 上記のような理由で、私は名称変更に反対です。どうか名称変更を撤回してほしいと思います。 最後に、私は10年ほど前に、自分の両親におそらく800万円近い学費を出してもらい(その内200万円程は奨学金で自分で支払い)京都造形芸術大学で4年間学ばせてもらいました。京都造形で過ごした事に、授業の内容も人との出会いも含めて後悔はありません。また、グラフィックデザイナーとして独立してからの10年間、京都造形出身であるという事は、自分にとって、自分の仕事や人格を、ほんのわずかではありますが、保証してくれるものでもありました。「変な人多いけど、面白い発想がある、突き詰めてしっかりやってくれる」というような評価があったような気がします。そう言った意味で、在学中に大学に納めた800万近い学費は、取り返せていると思っていました。後は学費を払ってくれた親に、親孝行するだけだなと。 しかしもし名称変更が実際に行われたとしたら、京都造形芸術大学は、大学としての「正当性のようなもの」を失うのだろうなと思います。「正当性のようなもの」という事を一言でうまく説明する言葉を持ちませんが、それは例えば、学費に800万払ってもいいと思わせるものであったり、もしくは、この人の話をしっかり聞いてみようと思わせるようなものかなと思います。 そうなった時、おそらく自分は、自分のプロフィールから京都造形芸術大学出身という一文を消すと思います。それは非常に残念な事ですが、きっと消さずにはいられないと思います。 また余談ですが、自分はグラフィックデザイナーとして仕事をしており、美術関係の仕事も沢山手がけさせてもらっていますが、もし展示作家のプロフィール欄に「京都市立芸術大学」と「京都芸術大学」が混在したとしたら、きっと誤植を疑うし、編集者は確認を入れざるを得ないと思います。倫理観云々を差し引いたとしても、こういったものすごく単純なレベルでも、この名称変更は間違っているとも思いますし、京都造形芸術大学を使い続けるべきだと感じます。


卒業生/情報デザイン学科卒業、Neki inc. 代表 グラフィックデザイナー/坂田佐武郎

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