学校側が主張する名称変更の理由として創立理念の重要性が挙げられていましたが、今回の件で多くの問題を抱えながらも名称変更を強行しようとしている姿勢はむしろ本来の創立理念に反しているのではと思います。京都造形芸術大学がこれからやろうとしていることは果たして本当に名称変更をしなければなし得ないことなのでしょうか。現代は分野の垣根に囚われない芸術性が求められています。その中で「造形」の名を残しつつも造形という言葉の持つ可能性を広げていくことも1つの選択肢としてあるのではないでしょうか。また、新名称は京都市立芸大と混同されやすいとの意見も多数挙がっていますが、これについても「許可が下りたから問題ない」という姿勢を貫くのは芸術大学としてあまりにも幼稚な態度に感じられてしまうというのが正直な感想です。芸術というのは常に社会との関わりにおいてあるもので、芸術教育に携わる者ならば単純にルールで定められた善悪で判断するのではなく、もっと柔軟かつしなやかな対応をすべきだと思います。何より名称変更にかかる予算と労力を学生の制作活動支援に捧げていただきたいですし、話し合いの場にごく一部の教職員と在校生しか出席が認められていない点、学長と理事長が不在である点なども大学側の誠意が全く感じられず大変残念に思います。名称変更に反対です。
卒業生/東京藝術大学大学院映像研究科修士1年、2019年3月美術工芸学科現代美術・写真コース卒業/志村茉那美
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