「京都芸術大学」という名前は、「京都を代表する芸術大学」という意味を持ちます。京都市民にとって、それは京都市立芸術大学です。 京都市民は明治時代から、税金と寄付で京都芸大を守ってきました。先日も移転にあたり、市内の企業が匿名で10億円を寄付しています。天皇が東京に移り、多くの職人がついて行ってしまった後の京都の文化を守り、推進するために御所の中にできた日本最初の画学校です。竹内栖鳳、上村松園、堂本印象など、錚々たる卒業生たちが、近代日本美術の礎を築いてきました。非常に狭い了見だと仰るかもしれませんが、京都を代表する芸大は、断じて秋元康を副学長に据えてAKBに校歌を歌わせるような大学ではありません。 理事長にお聞きしたい。崇高な理念を拝読しましたが、なぜそれを遂行するのに、芸術を愛する京都市民の象徴であり誇りである京都芸大と混同する名前をつける必要があるのですか。「造形」をとるのなら、「京都」と「芸術大学」の間になにか明確に区別できる単語を入れるだけで済む話です。 「混同される心配はない」とおっしゃいますが、それは受験生が受験する際に混同するかしないかの話であって、市民生活の中では既に混乱は生じています。タクシーの行先間違いなどは、その最たるものです。 名前とは他者と区別してもらうためにつけるものです。わざわざ既存の名門大学と誤解される名前にするということは、京都芸大の歴史と権威にただ乗りしようとしていると思われても仕方ありません。京都人が最も嫌う姑息で卑屈な商法ですし、芸術を教える大学がそのようなことをするというのは、自らレベルの低い大学であると言っているようなものです。 京都市民のみならず、美術関係者、音楽関係者も続々と非難の声を上げています。今はネットの時代です。この騒動で造形芸大の過去の不祥事や現在の状態などがあっという間に全国に露呈されてしまいました。裁判になれば、さらに面白おかしく取り上げられるでしょう。この件で本当に苦しむのは、これからも名門であり続ける少数精鋭の市立の方の京都芸大ではありません。永久に「造形だった方の京都芸術大学」といちいち注釈をつけてプロフィールを出さなくてはいけない貴校の学生たちです。 集客に一生懸命で、名前と外観と宣伝にばかり目をやって、肝心の学生のことを大切にしない大学ビジネスを世間や在校生、受験生が見ていないとお思いですか?裁判に勝っても負けても造形に利はありません。これ以上、傷が大きくなる前に撤回されますように、お願い致します。
その他/主婦 京都市民
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